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現役のことを心配するお便り 投稿者:石田事務局長 投稿日:2019/02/18(Mon) 05:46 No.1588

去年11月発行の合一会報で現役の団員数激減して30名になったことと、

それに伴って合唱団財政悪化で、現役から定演のため20万円の財政支援のお願いが出ていたことを報告しました。

その後、現役が歳出削減に取り組み定演の赤字補てんは13万余円となりました。現役はよく赤字削減に努力したと思います。


その時の合一会報で合一会合唱団参加者募集もして、参加確認ハガキも同封しておりました。

その参加確認ハガキのコメント欄に現役合唱団の存続危機と財政危機について10名程の方が心配や励ましのご意見を書いてくださっておりました。

以下に紹介いたします。因みに去年の卒業回は66回です。写真は数年前にボックス扉に貼られていた団員募集のポスター。

# 8回卒女性…現役の合唱団の様子心配です。何とかうまくいく様に祈るのみ!!

# 16回卒男性…合唱団の存続危機について、現世代の考え方もあろうかと思いますが、OBからの励まし、財政支援なども必要では。

# 23回卒女性…現役の危機の記事を読み、驚きましたが現役にとって石田さん、合一会の存在、とても頼りになっていますね、何とか踏ん張ってほしいと思います。

# 23回卒女性…現役の団員減、大きな問題ですね。合一会としてサポートできればよいですが。

# 28回卒女性…合唱団の危機も何とかしてあげたいけど…。新歓頑張ってもらうしかないですかね・・・・。

〔続きはまた明日に〕

Re: 現役のことを心配するお便り - 石田事務局長   2019/02/19(Tue) 04:54 No.1589
31回卒女性…現役メンバーの危機的状況に驚いています。春にはたくさんの新メンバーを迎えてみんなで乗り切って欲しいです。

34回卒男性…現役の財政状況がきびしいとのことでした。合一会は合同ステージや何かと現役のお世話になっていることと思います。カンパを募るとかして、日頃の感謝の気持ちを表してはどうでしょうか。

35回卒男性…団現況減員は寂しいことですが、1986年同様、新歓に注力し、しっかり春合宿までに現役団員のレベルを上げてもらいたいと考えます。何か応援できることがあれば、一報下さい。

【註】1986年は前年の定演に立ったテナーの1〜3回生の4人全員が退団してしまい、この年の合唱団はテナー0人で出発した。新歓を必死で頑張って、テナー1回生4人を獲得して合唱団は存続した。

42回卒男性…現役生の減少は心配なことですが、また増えるときもあると思います。

48回卒女性…現役団員の状況に驚き、憂慮しています。このような事態になるまでに何か手は打てたのではと残念な限りです。

24回卒の千葉在住の男性の方からは現役合唱団の活動支援で合一会費と一緒に1万円ご寄付を振り込んでいただいております。

以上ですが、お便りをいただいた以外の合一会員の多くの方がきっと心配されていることと思います。

合一会といたしましても何らかの支援を考えていくべきと考えております。

合一会合唱団第1回練習 投稿者:石田事務局長 投稿日:2019/02/11(Mon) 08:13 No.1584


昨日10日(日)は合一会合唱団の第1回練習日が開催されました。

この日時点で参加申込者数はSop21名、Alt11名、Ten6名、Bas8名、合計46名。

そしてこの日の参加者数はS17名、A7名、T5、B7名、計36名でした。


写真は臼井指揮者の指導で発声練習前の体操。

合一会合唱団第1回練習 - 石田事務局長   2019/02/11(Mon) 08:17 No.1585

合一会合唱団の会費について誤解されている方もおられますので、ここで説明しておきますが、

この日は入会金という形で会費3千円(院生は半額)徴収しました。

これは毎回集めるわけではなく、次の集金は秋あたりにもう1回千円か二千円までの金額で、残会費徴収します。

練習場が合唱団練習場のみで行けるのでしたら、残会費は千円で済みますが、

合唱団練習場の予約が取れずに有料の一般練習場を使う場合があったらその負担金が出てきます。

その場合でも2千円までの会費で済む見込みです。

ですから会費の合計負担金は合計で4千円ないし5千円までの金額となる見込みです。


写真はこれから練習でお世話になるピアニストの川口真利枝先生が挨拶されているところです。

合一会合唱団第1回練習 - 石田事務局長   2019/02/11(Mon) 08:22 No.1586

この日の練習ですが、『外国曲集』 から “アルカデルトのアヴェ・マリア”、 “ヴィクトリアのアヴェ・マリア” 、 “マイ・オールド・ケンタッキー・ホーム”。

組曲『みやこわすれ』 から “はっか草”、“みやこわすれ”。

この日に楽譜を配布したので初見の方も多いにもかかわらず、かなりのレベルまで歌えました。

臼井指揮者の力量と、真利枝先生のピアノフォローのおかげでしょう。。

合一会合唱団は今も参加者を受付しております。石田までメールなり電話なり、ハガキなりでお申込みお待ちしております。ヨロシク。


写真は練習風景。

Re: 合一会合唱団第1回練習 - 石田事務局長   2019/02/11(Mon) 08:25 No.1587
今後の練習日ですが3月17日(日)と4月21日(日)は合唱団練習場がちゃんと予約出来ておりますので、この場所で練習をいたします。


写真は3歳の娘さん連れで来られたパパさんがおられましたが、練習の終盤では合唱の歌声が子守唄になったようですね。

これからもお子さん連れで遠慮なくいらしてくださいね。このようにしてこのお子さんは将来府大に入られて合唱団員となられるかもしれませんね。

合一会合唱団コーナー立ち上がる 投稿者:石田事務局長 投稿日:2019/02/03(Sun) 07:28 No.1582


合一会合唱団の第1回練習日が来週の2月10日(日)です。それを前に「合一会合唱団コーナー」をHP管理人の武さんに立ち上げていただきました。

武さんにはお仕事お忙しい中、立ち上げていただき感謝しております、ありがとうございました。

合一会合唱団参加の方は、今後このコーナーをよろしくご活用願います。

なお歌う曲の演奏サンプルは“合一会合唱団コーナー”の2行目「練習用音源」をクリックしていただくと、末尾にユーチューブより引用の形で聞くことができますのでよろしくお願いいたします。

合一会合唱団宣伝最終号 投稿者:石田事務局長 投稿日:2019/02/02(Sat) 05:27 No.1578

モーツァルの妻のコンスタンツェ(1762-1842)ですが、根拠もなしに悪妻とか無能な人間とか言われ、モーツァルトが存命中は目立たない存在でした。しかし、モーツァルトが亡くなってからの活躍は凄いものです。

彼女はモーツァルトの死にショックを受けて憔悴しきっていたが、すぐに残された夫の膨大な借金を返すべく行動を開始した。

皇帝レオポルド二世に遺族年金の支給を申請し夫の年棒の三分の一に当たる金が1年間支給されることになった。

夫の友人や後援者の力を借りて夫の追悼演奏会や自分と子供たちのための演奏会を催して収益を上げ、

プロイセン王に夫の作品の楽譜を売るなどして瞬く間に借金を返済しました。


画像は1762年女帝マリーア・テレージアから下賜された大礼服を着た6歳のモーツァルト。

合一会合唱団宣伝最終号 - 石田事務局長   2019/02/02(Sat) 05:32 No.1579
≪モツレク完成の舞台裏≫

何よりコンスタンツェの功績はレクイエムを完成させたことです。モーツァルトはレクイエムを完成できずに亡くなりました。

当時の事情を説明すればレクイエムを完成させないと依頼主のヴァルゼック伯爵から完成時の報酬を受け取れません。

借金を返すためにはこの報酬が欲しい。そこで彼女は色々と手を尽くし、結局はモーツァルトの「弟子」のジュースマイアーに完成させてもらった。

本当のところジュースマイアーはモーツァルトの弟子ではなく、彼を補佐して彼のオペラを浄書する仕事などをしていた。

それでもコンスタンツェはジュースマイアーのことをモーツァルトの「弟子」と言いつくろって、未完のレクイエム補筆の正当性を強調した。

これがモツレクが完成された舞台裏ですが、このようにしてコンスタンツェはヴァルゼック伯爵から残りの報酬を受け取った。

29歳で未亡人となったコンスタンツェは30台半ばで内縁の結婚をしている。

相手はデンマークの外交官で、彼は二人の連れ子の父親代わりになって優しく接してくれていた。その後彼女は80歳で世を去っている。


写真はモーツァルトの葬儀が行われたシュテファン大聖堂の内部。

合一会合唱団宣伝最終号 - 石田事務局長   2019/02/02(Sat) 05:43 No.1580
最後にあまり知られていないモーツァルトの子供たちのことについてです。

モーツァルト夫妻には6人の子供が出来ましたがそのうち4人までが一年足らずで死んでいます。

生き延びた2人はともに息子で、第二子でモーツァルト28歳で生まれたカール・トーマス(1784-1858)、

モーツァルトの亡くなった年に生まれた末子フランツ・クサバー・ヴォルフガンク(1791-1844)。

トーマスは音楽教育は受けたが音楽家の道をあきらめた。1810年にミラノの役人になり、同地で一生を終えている。

末の子は早くから楽才を示して「モーツァルト2世」で売り出したが、さほど成功はせず音楽家として地味な生涯を送った。

この二人の子はいずれも子孫を残さなかったので、モーツァルトの直系の血はこの代で途絶えてしまった。

1841年にモーツァルト没後50周年を記念してザルツブルグに彼の記念像が建立された時に二人の息子も駆けつけてにぎやかな祝典となっていた。


写真はザルツブルグのモーツァルト像。

合一会合唱団宣伝最終号 - 石田事務局長   2019/02/02(Sat) 05:52 No.1581
今回で合一会合唱団宣伝の連載は終了です。シューベルトのお話まで進めず残念と思っております。

いよいよ来週2月10日(日)は合唱団練習場での第1回練習日です。13時から始まります。

色々と準備も整っております。現在参加登録者は44名となっております。

また報告は掲載させていただきます。
合一会合唱団宣伝第11号 投稿者:石田事務局長 投稿日:2019/01/27(Sun) 18:01 No.1576

モーツァルトの妻についてのお話に戻ります。

モーツァルトは35歳で亡くなる年の1791年5月にウィーン近郊バーデンの学校教師で聖歌隊指揮者のアントン・シュトルに下記内容の手紙を出しています。

「最愛のシュトル!─(略)─ 僕の女房のために小さな住居をどうぞ予約していただきたいのです。彼女には二部屋あれば充分です。

でも少なくとも必要な条件は、それが一階にあるということです。至急御返事とお知らせをくださるようお願いします。」

ウィーン近郊バーデンは昔からの温泉保養地で、当時は貴族階級が利用するような高級な保養地であった。

その時モーツァルトの妻は身ごもっており足の病気も抱えていた。それでモーツァルトは彼女を保養地にやることにした。

ただし、妊婦であり足も悪いので「一階」の住居をモーツァルトは要望している。まさに愛妻家モーツァルトならではの手紙でありましょう。

(写真は妻コンスタンツェの肖像画)

合一会合唱団宣伝第11号 - 石田事務局長   2019/01/27(Sun) 18:05 No.1577
そしてモーツァルトはシュトルにアヴェ・ベルム・コルプスを捧げた。(作曲時期: 1791年6月17日)。

シュトルはモーツァルトから贈られた「アベベルムコルプス」の自筆譜を持っていた。

このように“アヴェ・ヴェルム・コルプス”が作曲されたのはモーツァルトが愛妻家であったことと大いに関連があったのでした。

(写真はバーデンの公園)

モーツァルトに関する誤情報 投稿者:石田事務局長 投稿日:2019/01/20(Sun) 05:48 No.1572

ちょっとここでモーツァルに関する誤った情報をただしておきます。

「モーツァルトの晩年は人気を失い、作品も難解という理由で演奏されなくなり、収入は激減し

妻の療養費などで借金を重ね、世間から理解されず貧困のうちに35歳に若さで亡くなりました」

というのがモーツァルトの晩年のイメージでしたが、近年の研究ではこれらは見直されてきています(西川尚生著『モーツァルト』2005年)。

晩年のモーツァルトがプフベルクという人に出した手紙が21通も残されています。そのほとんどが借金の申込です。

モーツァルトが亡くなった時、膨大な借金がその家族に残されました。

それでは晩年のモーツァルトは多額の借金をするくらいだから貧困な暮らしをしていたのでしょうか?

(写真はモーツァルトの故郷ザルツブルグの夜景)

モーツァルトに関する誤情報 - 石田事務局長   2019/01/20(Sun) 05:56 No.1573
1791年と言えばモーツァルトの亡くなった年ですが、その年の6月12日付のモーツァルトから転地療養中の妻への手紙に

「一通の手紙を書いて、某の父親のもとへ女中をやって届けさせた。」とあるので、モーツァルト家では女中を雇っていたことが判ります。

実はモーツァルトが25歳から亡くなる35歳までのウィーン在住時代、彼はかなりの高額所得者でした。

確かに30歳頃から収入は落ちていますが、やはり所得は多かったのです。

写真はウィーンのモーツァルト・ハウス。彼は28歳から31歳まで、ここに住みました。 住居は2階で6つの部屋とキッチンからなる豪華なものでした。

さすがに収入が減ってきたので31歳でこの高級住居は引き払い、家賃のずっと安い郊外の住居に住むようになりました。

確かに住居では生活の質を下げていますが、住居以外の点では生活水準を落とそうとした形跡がありません。

ある程度収入が減ったのに貴族的生活から離れられず、そのために多額の借金を重ねていたのが実情だったと思われます。

モーツァルトに関する誤情報 - 石田事務局長   2019/01/20(Sun) 05:58 No.1574
モーツァルト死後の遺産目録には高価な家具、高級な衣装、ビリヤード台、食器、書籍など高級品が並んでいました。

写真は死後28年後に描かれた肖像画です。

モーツァルは死ぬまでこのような高価な衣服を着て、借金まみれになりながらも貴族的生活をしていたのでしょう。

この後、モーツァルトの家族のことも書きますが、それを読まれても晩年のモーツァルトは豪華な生活をしていたことが分かります。

晩年のあの天上的な名曲の数々はそのような貴族的生活の中でこそ生まれたものではないでしょうか。

モーツァルトに関する誤情報 - 石田事務局長   2019/01/20(Sun) 06:27 No.1575
モーツァルトが30歳代になってから作品が難解だという批評が出てきましたが、当時彼のオペラは各地で上演回数を伸ばしていました。

楽譜出版社もモーツァルトに対する評価は高く、彼の晩年まで彼の曲を高価で買い取っていました。

そして1791年12月5日35歳でモーツァルが息を引き取ると、彼の死はヨーロッパ中に伝えられ、各地の新聞にこの偉大な音楽家の死を報じる記事が掲載されました。

このようにモーツァルは晩年に至るまで当時の社会でそれなりに高い評価を得ていたことは間違いありません。

(写真はウィーンの象徴ともいえるシュテファン大聖堂。モーツァルトはここで結婚式を挙げ、彼の葬儀もここで行われました)

合一会合唱団宣伝第10号 投稿者:石田事務局長 投稿日:2019/01/12(Sat) 20:52 No.1568

今回からはモーツァルト(1756-1791)の解説です。主に彼の家族のことを書こうと思っております。

知らない方の方が多いかもしれませんが、モーツァルトは大変な愛妻家でした。

合一会合唱団の課題曲である “アヴェ・ヴェルム・コルプス” も彼が愛妻家であったことと関連があるのです。

写真はウィーン王宮庭園にあるモーツァルト像

合一会合唱団宣伝第10号 - 石田事務局長   2019/01/12(Sat) 20:57 No.1569
モーツァルトがその妻コンスタンツェを愛していたということは彼の書簡から分かります。

(京都市立図書館にある『モーツァルト書簡全集6巻』を参照しました)

ウィーンにいた26歳のモーツァルトは、結婚前年1781年にザルツブルグの父親に下記のような結婚願望の手紙を書いています。

「僕の気質はもともと乱痴気騒ぎに明け暮れるよりも静かな家庭的雰囲気を求める性質です。

幼いころから下着や服など、身の回りのものに気を配れないので、妻ほど必要なものはないです。

僕の愛の対象はヴェーバー家の娘、コンスタンツェです。

美人ではないですが、およそ彼女の美しさはその小さな黒い両目とすらりとした体つきにあります。

機知はありませんが、妻として、母親としての務めを果たせるだけの常識は十分に備えています。彼女に浪費壁などありません。

家計も心得ているし、世にも優しい心を持っています。僕がこれ以上の良い妻を望めるでしょうか?」

上記は、現代日本の普通の青年がこのような文章を父親宛に書いたとしても何らおかしくないような内容です。

このように神童モーツァルトの結婚観は我々現代日本人でも理解できるようなものだったようです。


写真はモーツァルトが生まれ育ったザルツブルグの風景。

合一会合唱団宣伝第10号 - 石田事務局長   2019/01/12(Sat) 20:59 No.1570
結婚後7年経ってもモーツァルトの妻への愛は変わらず、旅先から妻宛の二通の手紙を紹介します。共に1789年モーツァルト33歳です。

【旅先ドレスデンより、ウィーンの妻宛 1789年4月16日夜11時半】

最愛、最上の奥さん!─(略)─オペラがはねた後、僕らは家へ戻った。そして今、僕にとって最も幸せな瞬間がやって来た。

僕はあんなにも長いこと待ち焦がれた、最愛!最上!の君からの手紙を見つけたんだ! 

僕はすぐに有頂天になり自分の部屋に入り,封を開ける前に、手紙に数えきれないほどのキスを浴びせた。

それからそれを読んだというより、むさぼりつくした。僕は長いこと自分の部屋にいた。何度読んでも、何度キスをしてもし足りなかったからだ。

─(略)─僕は毎晩ベッドに入る前に、たっぷり30分は君の肖像画と話をしていることを考えてほしい。そして起きる時も同じようにしている。

きみに1095060437082回キスして、抱きしめる(これで発音練習が出来るね)いつまでも。

きみのこの上なく誠実な夫で親友のW・A・モーツァルト

×   ×   ×   ×   ×

≪註≫少し解説しますと、モーツァルトの奥さんは「筆まめ」な人ではなく、モーツァルトは手紙でしばしば自分に手紙を書いてほしいと妻に要望していました。

それで旅先にめったに来ない妻からの手紙が来たので大変に喜んだという次第です。

写真はこれもザルツブルグの風景

合一会合唱団宣伝第10号 - 石田事務局長   2019/01/12(Sat) 21:06 No.1571
【旅先ベルリンよりよりウィーンの妻宛 1789年5月19日】

最愛、最上のいとしい奥さん!─(略)─

27日までには何が何でも発つよ。やっと君の傍に戻れるのが、とても嬉しい。愛しい人よ!

でも、帰ったら真っ先に君の髪をひっつかんでやるから。僕が君を忘れたなんて、たとえ想像だけにせよ、いったいどうして考えられるのだろうか?

そんなこと想像した罰として、帰った晩すぐに、きみの可愛い、キスをしたくなるようなお尻を手ひどくペンペンしてやるから。

それだけは覚悟しておきたまえ。アデュー

いつまでもきみの 唯一の友であり 心から愛する夫 W・A・モーツァルト

写真はザルツブルグの観光名所ミラベル宮殿。映画サウンド・オブ・ミュージックにも出てきました。

【次回に続く】

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